聚楽館

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明治・大正時代から昭和15~16年迄、三宮が歓楽街として勃興する前は、湊川新開地が、神戸の歓楽街でした。
昭和7(1932)年の地図です。
湊川新開地本通り」は、国鉄(現・JR)神戸駅から南西に歩き、湊町1丁目の交差点を右に曲がった、西へ向かう道でした。(赤線)
縦長楕円印が、今回の主役”聚楽館”で、その左の丸印は、以前拙ブログで掲載した”神戸タワー”です。

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画像は、大正1~2年頃の「湊川新開地本通り」の建物で、手前の旗が翻っている建物が、活動写真を上映する”電気館”、その奥の建物が”帝國館”で、”帝國館”は、楠社水族館を移築した建物でしたが、後に”キネマ倶楽部”という映画館に商売替えしたところ、煽りを食らった”電気館”が、廃館となってしまいます。

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遠方で、聚楽館が改装工事中ですので、1933年(昭和8年)9月以降に撮影したと思しき、「湊川新開地本通り」の画像です。
画像中央に、当時有名だった「びっくり・ぜんざい屋」の看板が確認出来ます。
大きな丼鉢いっぱいに広がった巨大な餅、餅を下から持ち上げるばかりに入った小豆汁、一口啜ると、水が欲しくなるような甘さ、それで一杯10銭也。一日中、超満員だった由。

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遠方に、改装成った聚楽館が確認出るので、上掲画像より後年の1934年(昭和9年)2月以降に、上掲画像と、ほぼ同じ位置から撮影したと思しき、「湊川新開地本通り」の情景です。
この角度ですと、江崎グリコの広告塔が確認出来ます。
難破船から払い下げを受けたという白布地・火事場/破産品の万年筆・厄払い/魔除けの指輪/腕輪・南洋の海底から採取したパイプ・ガラス細工の知恵の輪(触ると必ず折れる。)・マムシの黒焼き・毒蛇の肝・オットセイの干肉(寝小便に効く。)・空き巣除けの戸締り金具・・・。
黄昏時ともなれば、良き鴨ござんなれとばかりに、如何わしき露店が立ち並び、香具師達が大真面目に、怪弁・詭弁を弄していたそうな。

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昭和7(1932)年の地図、西北部分です。
聚楽館(縦長楕円)の右(北)側に、風俗店街の福原町(横長楕円)があり、聚楽館横の細い通りを北西に進むと、通り左手(西)に「中央劇場」があって、さらに進んでいくと、突き当り左手に「神戸タワー」(丸印)が聳(そび)え立っていた(黄色丸印で囲んだ地図記号)事が分かります。
福原町の東方向に国鉄(JR)神戸駅がありますが、少し距離があるので、市電か市バスの停留所利用が便利でした。
下部黒破線円形内の「新開地三角公園」に、市電・市バスの一大ターミナルが出来たのも、頷けます。

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聚楽館は、1913年(大正2年)8月18日竣工。
建築家・設楽貞雄が設計しました。
(設楽貞雄については、神戸タワーの記事を参照して下さい。設楽貞雄の解説記事

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建築様式・経営方法ともに、東京の帝国劇場をモデルにして建てられ、「西の帝劇」と呼ばれていました。

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当初は歌舞伎・演劇がメインでしたが、途中で改装され、1927年(昭和2年)9月には映画の常設館となりました。

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神戸っ子からは、「ええとこ、ええとこ、聚楽館。」のキャッチフレーズで親しまれました。

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1929年(昭和4年)に、松竹興業株式会社に身売りしました。
その後1933年(昭和8年)9月に、大阪木村組の設計により改装工事に着手し、1934年(昭和9年)2月に竣工しました。

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898坪の敷地に建つ、建坪644坪・5階建て・鉄筋コンクリート造りのビルは、内部にスケートリンクが開設され、工費102万円だったとか。

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戦災に遭った、戦後間もなくの聚楽館。

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昭和31年(1956年)1月撮影の、華やか成りし頃の聚楽館で、折りしも前年12月に封切られた、ウオルト・ディズニー製作「海底二万哩」が上映中です!
「阪神電車」の広告を訝る向きもあろうかと存じますが、「神戸タワー②」の記事で述べた如く、阪神電車は当時、湊川までの延伸を申請しており、湊川駅で神有(しんゆう)電鉄(現在の神戸電鉄)と山陽電鉄(板宿駅から分岐して、湊川に至る路線の免許を取得していた。)に接続し、乗り入れる計画が有りました。
当時は新開地・湊川周辺で、広告・宣伝活動が活発でした。従って、聚楽館にも広告が存在するのです。
12年後の昭和43年(1968年)4月7日に、聚楽館前に神戸高速鉄道・新開地駅が開業し、阪神電車が乗り入れる事になり、遂に夢が叶えられます!が、時すでに遅く、繁華街は三宮へと移り、新開地・湊川は寂れていたのでした・・。

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新開地本通りと、市電が通る道路との交差点にある、横断歩道近辺の画像です。
この地点からは、左手に聚楽館、アーケードの向こうに神戸タワーが望めて、一段と歓楽街の雰囲気が盛り上がった筈ですが、神戸タワーの広告が「ビオフェルミン」である事と、長方形単体である信号機の形状から察するに、1950年頃の撮影と思しきこの画像からは、すでに客足を三宮・元町に奪われた”うら淋しさ”が、漂ってきます。

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聚楽館は、亡父に連れられて何度か訪れた思い出の場所(「ドラゴンへの道」を観に行った際は、ガラガラの館内で堂々と煙草を吸う人が居て、『流石、新開地・・。』と、胸中震え上がったのを覚えています。)ですが、中学生時代(1974年・昭和49年)に初めて友人と連れ立って映画を観に行ったのも、聚楽館でした。タイトルは「JAWS」。怖かったのを覚えています。
中学生の時点で、残念ながら市電は存在せず、神戸高速鉄道・新開地駅から徒歩で聚楽館へ赴きました。

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三角公園が無くなって、鉄柵で囲っただけの市電停留所も侘しいですが、幼いころから目にしてきた聚楽館の外観も、神戸タワーに負けず劣らず、どす黒い焦げ茶色で、いかにも裏寂れて荒廃した感じがしましたし、治安も悪いように思えて、亡父の運転する車やタクシーの中で、思わず身構えてしまったのを覚えています。

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聚楽館右側に、湊川公園・神戸タワーに通ずる商店街の入り口が見えます。

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嘗ては大勢の人が闊歩した横断歩道も、この時期には、道を渡る人が疎(まば)らになっていました。
盛者必衰の理(ことわり)を感じ、寂しさを禁じ得ません・・。

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これは、コカコーラの広告が取り付けられた、聚楽館・昭和48年(1973年)の姿で、バート・レイノルズの出世作「激突!」や、「シェーン」のリバイバル上映広告が確認できます。
往年の、南東角曲面部分を形作っていた窓が、コンクリートで埋められてしまいましたが、小職にとって、「聚楽館」と言えば思い出すのが、この姿でした。懐かしいです~。

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薄汚れた聚楽館と、その脇の、シャープの広告が目立つアーケード入り口の景色が、小職が慣れ親しんだ”新開地”でした。
やがて昭和53年(1978年)10月27日、松本清張原作「鬼畜」の上映を最後に閉館し、65年の歴史を終えたのでした・・。

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現在、跡地には「ROUND1(ラウンド・ワン)新開地店」(大京聚楽館ビル)があります。

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聚楽館から北に歩いた湊川公園の南側にあった、昭和47年(1972年)頃撮影の「湊川温泉」。
湊川界隈では、昭和50年代まで「映画を観て、風呂に入る」のポリシーで、映画館群は【テアトル(フランス語・「劇場」の意味。)神戸】と呼ばれ、温泉劇場も営まれていました。
湯上りで、さっぱりした家族連れの背後にある映画の看板が、「任侠映画」であるミスマッチに苦笑してしまいますが、これぞ「ザ・下町」と呼べる現象ではないでしょうか。

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”温泉”といっても名ばかりで、実際は唯の”風呂”でしたが、そんな事に苦言を呈する人は、いませんでした。
大人達にとっては、ひとっ風呂浴びて、いかがわしい映画を観て、古本屋に立ち寄って帰るのが、唯一の娯楽でした。
小職が生まれ育った神戸市長田区にも、商店街の道すがらに日活の映画館が有り、任侠映画スターのファッションや、妙齢の女性の裸体等を、恐る恐るチラ見しつつ、母に手を引かれて小走りに前を通り過ぎた日々が懐かしいです。

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「神戸タワー」の懐かしい画像を添えます。
これは解体直前の昭和40年代に撮影されたと思しき、雨に濡れてうら寂しい表情の神戸タワーです。
閑散とした公園、誰も乗っていないブランコが、哀愁を漂わせています。

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聚楽館西側の、新開地三角公園のある交差点を北側に進んだ地点で、南西から北東に向かって、晩年の姿を眺めています。
走る市電は、廃止となった大阪市電からやって来た100型ですが、活躍期間は短く、神戸タワー解体と同じ昭和43(1968)年、全車廃車となり、その多くが漁礁として、須磨沖に沈められました。

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こちらは竣工後、程無くして、最初のネオン広告が取り付けられた姿です。

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「川崎造船所・ガントリークレーン」の、新たな画像を見つけました。

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昭和30年代に撮影された画像です。
グリコ広告塔先端部左側に、神戸タワー先端部が見えていますので、「聚楽館」前の通りを西北に進んだ地点から、西北方向を撮影したと思われます。
神戸タワー先端部と重なっている建物が「中央劇場」で、斜め向かいにも劇場があり、前面が広場となっていた事が分かります。
グリコ広告塔は建設当初、「聚楽館」から多聞通を挟んだ東南東方向の、「新開地本通り」に存在しましたが、後に「聚楽館」北西側に移転されました。

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昭和21年撮影の、おそらく「神戸タワー」から、南東方面を望見した画像で、右手手前の灰色の建物が、北側から見た「聚楽館」です。
「聚楽館」左手から、斜めに伸びる道が「湊川・新開地本通り」で、その先に見えるのが、焼け残った「ガントリー・クレーン」です。
画像下部、右手前の煙突周囲は、「中央劇場」建物の屋上で、画像下部、中央やや左寄りの鉄塔は、戦時中の灯火管制で広告部分を撤去された、グリコ広告塔です。
グリコ広告塔先端部向こう側の建物は、「中央劇場」斜め向かいの劇場で、前面広場に人が集まっています。
進駐軍関係者が持ち込んだ、色持ちの良い”コダクローム”の画像でしょうか、昔日の湊川・新開地の名所が、全て網羅された一葉であり、感慨を新たに致します。

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2017年9月5日付読売新聞地域欄に、偶然、ガントリー・クレーンの記事が掲載されていました。☝
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ジャンル : 日記

tag : 聚楽館 神戸タワー 新開地 湊川 神戸 映画館

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ecocitro

Author:ecocitro
妻・娘・息子との四人暮らしです。
【シトロエン】
《1975 GS1220 club》
亡父が1975年に新車で購入し、ブログ著者に名義変更して現有。
《1973 DS23IE pallas》
1992~2016 24年間所有。
《1972 SM2.7》
2002~2007 5年間所有。
【楽器演奏活動】
《集団演奏》
JAZZ PIANOの集団演奏活動を、目論んでいます。
《鍵盤/打楽器》
幼少時にクラシック・ピアノを習得。
学生時代の4年間は、ジャズ・ドラムの個人レッスンを受講。
社会人になってから、ジャズ・ピアノ教室で、3人の講師に師事。
【作詞/作曲/編曲】
自作曲をCuebaseで完成させる傍ら、それをネットで公開して、評価を仰ぐ事に注力します。
【ミニカー蒐集】
シトロエンGS/AとシトロエンSMモデル以外を、2017年1月に売却。
【運動】
サッカー・水泳・野球等、色々経験した結果、最も肌に合って楽しいスポーツは、バスケットボールでした。
【鉄道趣味】
山陽・阪急・阪神・神戸電鉄・神戸市電・姫路モノレール・地方ローカル鉄道・軽便鉄道が好きです。
【ミリタリー】
戦史・戦記・飛行機・船舶・兵器・空戦・海戦・軍人について、特に造詣を深めています。
【アイドル】
偶然、「初の選抜総選挙1位戴冠」をテレビ視聴していた事から、指原莉乃さんの在宅・ライトファンとなりました。

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