聚楽館

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明治・大正時代から昭和15~16年迄、三宮が歓楽街として勃興する前は、湊川新開地が、神戸の歓楽街でした。
昭和7(1932)年の地図です。
湊川新開地本通り」は、国鉄(現・JR)神戸駅から南西に歩き、湊町1丁目の交差点を右に曲がった、西へ向かう道でした。(赤線)
縦長楕円印が、今回の主役”聚楽館”で、その左の丸印は、以前拙ブログで掲載した”神戸タワー”です。

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画像は、大正1~2年頃の「湊川新開地本通り」の建物で、手前の旗が翻っている建物が、活動写真を上映する”電気館”、その奥の建物が”帝國館”で、”帝國館”は、楠社水族館を移築した建物でしたが、後に”キネマ倶楽部”という映画館に商売替えしたところ、煽りを食らった”電気館”が、廃館となってしまいます。

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遠方で、聚楽館が改装工事中ですので、1933年(昭和8年)9月以降に撮影したと思しき、「湊川新開地本通り」の画像です。
画像中央に、当時有名だった「びっくり・ぜんざい屋」の看板が確認出来ます。
大きな丼鉢いっぱいに広がった巨大な餅、餅を下から持ち上げるばかりに入った小豆汁、一口啜ると、水が欲しくなるような甘さ、それで一杯10銭也。一日中、超満員だった由。

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遠方に、改装成った聚楽館が確認出るので、上掲画像より後年の1934年(昭和9年)2月以降に、上掲画像と、ほぼ同じ位置から撮影したと思しき、「湊川新開地本通り」の情景です。
この角度ですと、江崎グリコの広告塔が確認出来ます。
難破船から払い下げを受けたという白布地・火事場/破産品の万年筆・厄払い/魔除けの指輪/腕輪・南洋の海底から採取したパイプ・ガラス細工の知恵の輪(触ると必ず折れる。)・マムシの黒焼き・毒蛇の肝・オットセイの干肉(寝小便に効く。)・空き巣除けの戸締り金具・・・。
黄昏時ともなれば、良き鴨ござんなれとばかりに、如何わしき露店が立ち並び、香具師達が大真面目に、怪弁・詭弁を弄していたそうな。

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昭和7(1932)年の地図、西北部分です。
聚楽館(縦長楕円)の右(北)側に、風俗店街の福原町(横長楕円)があり、聚楽館横の細い通りを北西に進むと、通り左手(西)に「中央劇場」があって、さらに進んでいくと、突き当り左手に「神戸タワー」(丸印)が聳(そび)え立っていた(黄色丸印で囲んだ地図記号)事が分かります。
福原町の東方向に国鉄(JR)神戸駅がありますが、少し距離があるので、市電か市バスの停留所利用が便利でした。
下部黒破線円形内の「新開地三角公園」に、市電・市バスの一大ターミナルが出来たのも、頷けます。

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聚楽館は、1913年(大正2年)8月18日竣工。
建築家・設楽貞雄が設計しました。
(設楽貞雄については、神戸タワーの記事を参照して下さい。設楽貞雄の解説記事

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建築様式・経営方法ともに、東京の帝国劇場をモデルにして建てられ、「西の帝劇」と呼ばれていました。

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当初は歌舞伎・演劇がメインでしたが、途中で改装され、1927年(昭和2年)9月には映画の常設館となりました。

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神戸っ子からは、「ええとこ、ええとこ、聚楽館。」のキャッチフレーズで親しまれました。

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1929年(昭和4年)に、松竹興業株式会社に身売りしました。
その後1933年(昭和8年)9月に、大阪木村組の設計により改装工事に着手し、1934年(昭和9年)2月に竣工しました。

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898坪の敷地に建つ、建坪644坪・5階建て・鉄筋コンクリート造りのビルは、内部にスケートリンクが開設され、工費102万円だったとか。

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戦災に遭った、戦後間もなくの聚楽館。

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昭和31年(1956年)1月撮影の、華やか成りし頃の聚楽館で、折りしも前年12月に封切られた、ウオルト・ディズニー製作「海底二万哩」が上映中です!
「阪神電車」の広告を訝る向きもあろうかと存じますが、「神戸タワー②」の記事で述べた如く、阪神電車は当時、湊川までの延伸を申請しており、湊川駅で神有(しんゆう)電鉄(現在の神戸電鉄)と山陽電鉄(板宿駅から分岐して、湊川に至る路線の免許を取得していた。)に接続し、乗り入れる計画が有りました。
当時は新開地・湊川周辺で、広告・宣伝活動が活発でした。従って、聚楽館にも広告が存在するのです。
12年後の昭和43年(1968年)4月7日に、聚楽館前に神戸高速鉄道・新開地駅が開業し、阪神電車が乗り入れる事になり、遂に夢が叶えられます!が、時すでに遅く、繁華街は三宮へと移り、新開地・湊川は寂れていたのでした・・。

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新開地本通りと、市電が通る道路との交差点にある、横断歩道近辺の画像です。
この地点からは、左手に聚楽館、アーケードの向こうに神戸タワーが望めて、一段と歓楽街の雰囲気が盛り上がった筈ですが、神戸タワーの広告が「ビオフェルミン」である事と、長方形単体である信号機の形状から察するに、1950年頃の撮影と思しきこの画像からは、すでに客足を三宮・元町に奪われた”うら淋しさ”が、漂ってきます。

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聚楽館は、亡父に連れられて何度か訪れた思い出の場所(「ドラゴンへの道」を観に行った際は、ガラガラの館内で堂々と煙草を吸う人が居て、『流石、新開地・・。』と、胸中震え上がったのを覚えています。)ですが、中学生時代(1974年・昭和49年)に初めて友人と連れ立って映画を観に行ったのも、聚楽館でした。タイトルは「JAWS」。怖かったのを覚えています。
中学生の時点で、残念ながら市電は存在せず、神戸高速鉄道・新開地駅から徒歩で聚楽館へ赴きました。

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三角公園が無くなって、鉄柵で囲っただけの市電停留所も侘しいですが、幼いころから目にしてきた聚楽館の外観も、神戸タワーに負けず劣らず、どす黒い焦げ茶色で、いかにも裏寂れて荒廃した感じがしましたし、治安も悪いように思えて、亡父の運転する車やタクシーの中で、思わず身構えてしまったのを覚えています。

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聚楽館右側に、湊川公園・神戸タワーに通ずる商店街の入り口が見えます。

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嘗ては大勢の人が闊歩した横断歩道も、この時期には、道を渡る人が疎(まば)らになっていました。
盛者必衰の理(ことわり)を感じ、寂しさを禁じ得ません・・。

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これは、コカコーラの広告が取り付けられた、聚楽館・昭和48年(1973年)の姿で、バート・レイノルズの出世作「激突!」や、「シェーン」のリバイバル上映広告が確認できます。
往年の、南東角曲面部分を形作っていた窓が、コンクリートで埋められてしまいましたが、小職にとって、「聚楽館」と言えば思い出すのが、この姿でした。懐かしいです~。

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薄汚れた聚楽館と、その脇の、シャープの広告が目立つアーケード入り口の景色が、小職が慣れ親しんだ”新開地”でした。
やがて昭和53年(1978年)10月27日、松本清張原作「鬼畜」の上映を最後に閉館し、65年の歴史を終えたのでした・・。

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現在、跡地には「ROUND1(ラウンド・ワン)新開地店」(大京聚楽館ビル)があります。

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聚楽館から北に歩いた湊川公園の南側にあった、昭和47年(1972年)頃撮影の「湊川温泉」。
湊川界隈では、昭和50年代まで「映画を観て、風呂に入る」のポリシーで、映画館群は【テアトル(フランス語・「劇場」の意味。)神戸】と呼ばれ、温泉劇場も営まれていました。
湯上りで、さっぱりした家族連れの背後にある映画の看板が、「任侠映画」であるミスマッチに苦笑してしまいますが、これぞ「ザ・下町」と呼べる現象ではないでしょうか。

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”温泉”といっても名ばかりで、実際は唯の”風呂”でしたが、そんな事に苦言を呈する人は、いませんでした。
大人達にとっては、ひとっ風呂浴びて、いかがわしい映画を観て、古本屋に立ち寄って帰るのが、唯一の娯楽でした。
小職が生まれ育った神戸市長田区にも、商店街の道すがらに日活の映画館が有り、任侠映画スターのファッションや、妙齢の女性の裸体等を、恐る恐るチラ見しつつ、母に手を引かれて小走りに前を通り過ぎた日々が懐かしいです。

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「神戸タワー」の懐かしい画像を添えます。
これは解体直前の昭和40年代に撮影されたと思しき、雨に濡れてうら寂しい表情の神戸タワーです。
閑散とした公園、誰も乗っていないブランコが、哀愁を漂わせています。

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聚楽館西側の、新開地三角公園のある交差点を北側に進んだ地点で、南西から北東に向かって、晩年の姿を眺めています。
走る市電は、廃止となった大阪市電からやって来た100型ですが、活躍期間は短く、神戸タワー解体と同じ昭和43(1968)年、全車廃車となり、その多くが漁礁として、須磨沖に沈められました。

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こちらは竣工後、程無くして、最初のネオン広告が取り付けられた姿です。

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「川崎造船所・ガントリークレーン」の、新たな画像を見つけました。

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昭和21年撮影の、おそらく「神戸タワー」から、南東方面を望見した画像で、右手手前の灰色の建物が、北側から見た「聚楽館」です。
「聚楽館」左手から、斜めに伸びる道が「湊川・新開地本通り」で、その先に見えるのが、焼け残った「ガントリー・クレーン」です。
進駐軍関係者が持ち込んだ、色持ちの良い”コダクローム”の画像でしょうか、昔日の湊川・新開地の名所が、全て網羅された一葉であり、感慨を新たに致します。

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2017年9月5日付読売新聞地域欄に、偶然、ガントリー・クレーンの記事が掲載されていました。☝
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tag : 聚楽館 神戸タワー 新開地 湊川 神戸 映画館

ガントリー・クレーン

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川崎兵庫造船所は、川崎正蔵により、1881年(明治14年)に神戸で設立されました。

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明治政府は1880年(明治13年)に官営工場を民間に払い下げる方針とし、官営兵庫造船所は1886年(明治19年)になり川崎に払い下げられます。

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官営兵庫造船所は、設備・敷地共に川崎兵庫造船所より優れていたので、川崎兵庫造船所の機能はこちらに移設され、官営兵庫造船所を川崎造船所と改称し、船台3基、船架2基の設備を持つに至りました。
資金調達強化のため、1896年(明治29年)10月15日に株式会社川崎造船所が設立され、念願の乾ドックが1902年(明治35年)に完成、同年から新船台の建設にも着手し、1905年(明治38年)に第一船台が完成しました。

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続く設備拡張で1912年(明治45年)に竣工したのが、第4船台上の「ガントリー・クレーン」です。
その後1937年(昭和12年)までに8つの船台を設置、うち第6船台は1941年(昭和16年)に撤去され、1945年(昭和20年)の終戦時で7台の船台がありました。

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株式会社設立以降、艦艇建造は本格化し、1899年(明治32年)の水雷艇建造から始まり駆逐艦などを建造しました。
潜水艦建造も早くから手がけ、1906年(明治39年)に日本初の国産潜水艦(第六潜水艇)を建造しています。
太平洋戦争開始時には空母を建造するまでになりました。

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川崎造船所は、同一船型の船舶を大量生産する為、スットク・ボートを造りました。
「来福丸」(9,100t)は、大正7年10月7日に起工、10月30日進水、11月6日竣工という、短期建造の世界新記録を樹立しました。これは起工11日後の光景です。

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ちなみに終戦までに戦艦・空母を建造した国内の民間造船所は、川崎造船所・三菱重工業長崎造船所の2か所だけでしたし(空母の船体のみ建造は、他に2か所ありましたが。)、潜水艦を建造した国内の民間造船所も、川崎造船所・三菱重工業神戸造船所・三井造船野造船所の3か所だけでした。

川崎造船所で建造された、主な日本海軍艦艇》

【戦艦】
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榛名

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伊勢

【重巡洋艦】
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加古

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衣笠

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足柄

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摩耶

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熊野

【軽巡洋艦】
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大井

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鬼怒

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神通

【航空母艦】
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瑞鶴

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大鳳

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飛鷹

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戦後は「KAWASAKI DOCK YARD」の文字が取り付けられ、夜は白いネオン(赤色という説もあります。)が灯り、戦前・戦後を通して、神戸タワーと並び称される、神戸のランドマークでした。

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1962(昭和37)年に解体されましたが、構造物が2本残されている事に驚きました。

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小職がガントリー・クレーンに興味を持ったのは、亡父に連れられて訪れた大丸神戸店で開催されていた、「さよなら神戸市電展」で購入した写真集に掲載された1枚の写真からでした。
高松吉太郎氏撮影の、冬の楠公東門線を北上する400型単車なのですが、写真説明に「川崎造船所のガントリ・クレーンがなつかしい」と、書かれていたのです。
世代が違うため全く理解出来なかった小職は、後年、文献を漁って調べてみたのが端緒となったのです。

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これは後刻発見した写真ですが、構図が殆ど同じである事から、高松吉太郎氏撮影であると推察されます。

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ネオンサインが灯っている画像が見つかりませんでしたが、最近になって店頭で偶然見つけた写真集に、小さいながらも当時の雰囲気を伝える写真が掲載されていました。
昭和27年頃の湊川・新開地を撮影した一葉ですが、通りの彼方にネオンサインが灯ったガントリー・クレーンが、黄昏行く夜空に浮かび上がっています。

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ガントリー・クレーンが、ポートタワーやニューポートホテル登場以前の、正しく神戸のランドマークであったことが伺える、貴重な写真です。

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tag : ガントリー・クレーン 神戸 川崎造船所

神戸タワー②

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湊川公園が開設されたのは明治44年です。遊園地や野外音楽堂も有ったとか。
神戸タワーの広告が最初の「ハーブ洗濯石鹸・ベルベット石鹸」ですので、昭和初期です。

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「観艦式記念神戸博覧会」が、昭和11年10月3日から44日間、湊川公園で開催されました。
国防館・風景館・演芸館等の展示館が立ち並び、市民で賑わったそうです。
神戸タワーも、心なしか誇らしげに佇んでいるようです。

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博覧会開催時の湊川公園の空撮です。
神戸タワーへのアプローチは、階段と、左右からのスロープが設けられていたことが分かります。

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聳え立つ、威風堂々たる神戸タワーの姿。
ちなみに、昭和9年(1934年)に完成した「阪神電車」のネオン広告は工事費が2万円で、ネオンに使用する電気代が毎月1200円でした。総理大臣の給料が月額800円という時代です。

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何故ここまで積極的に広告・宣伝活動をしたのかと言えば、阪神電車は当時、湊川までの延伸を申請しており、湊川駅で神有(しんゆう)電鉄(現在の神戸電鉄)と山陽電鉄(板宿駅から分岐して、湊川に至る路線の免許を取得していた。)に接続し、乗り入れる計画が有ったからでした。

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そのネオンが輝く、正に「不夜城」の名が相応しい、全盛期の湊川・新開地の夜景です。
神戸タワーの広告が「阪神電車」ですから、1934年~1940年頃の光景です。

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昭和20年3月17日の神戸大空襲後に、現在の神戸大学医学部屋上より、西方面を望んで撮影。
神戸タワーに、「ビオフェルミン」の広告が確認できます。
神戸タワー右手遠景に、霞んで見える円筒形浮揚式ガスタンクは、長田区にあった物で、戦後は大・中・小3基に増えました。これらを毎日、寝室の窓から眺めていました。懐かしいです。

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上沢通りから眺めた神戸タワー。
左手にP410ブルーバード前期型のタクシーが走っていますが、正に此の位置関係で、小職は父の運転する車の後部座席から、迫り来る神戸タワーの威容を眺めていたのでした。当時の感覚が蘇ります・・。
ビューゲル(集電装置)が、アシンメトリー(非対称)な位置に取り付けられている市電も懐かしいです。後年は、全て車体中央に取り付けられていました。(2両だけ、試験的にパンタグラフを取り付けた車両もありました。)

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湊川と新開地を南北に結ぶ、道路の南側から見た神戸タワー。
堂々と道を横切る人が、のんびりした時代を象徴しています。
市電も懐かしいですが、後部窓が三分割で、中央に非常口のあるタイプのバスボディも、郷愁を誘います。

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更に南下して、大開通(だいかいどおり)交差点の南西角から見た、神戸タワー。
交差点を北に進んで湊川に向かう機会は殆ど無かったので、大開通(だいかいどおり)を車で東西に進む時、この交差点に差し掛かると、必ず北を向いて、神戸タワーを確認したものでした。一瞬の邂逅でした。

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この交差点は三叉路であり、嘗ては三叉路中央に、停留所・バスターミナルを兼ねた「三角公園」が存在していました。
右端のビルは、聚楽館です。

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昭和40年(1965年)撮影の三角公園。
三角公園は昭和43年の神戸高速鉄道開通前まで存在しており、開業に伴う道路整備・区画整理の都市計画に伴い、撤去されました。現在、この位置には、地下街の通気口があります。
右側の八角形の建物は「市バス操車場」で、1階は市バス乗務員詰所(昭和40年8月、神戸駅にバスターミナルが完成し、移転。)で、2階が市電信号所でした。
左側の丸い建物は「公衆便所」で、此処は格好の待ち合わせ場所だった由。
前部オーバーハングの短い、キャブオーバータイプ・市営バスのシルエットも、懐かしいです。

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下山手通り7丁目の交差点から、西方向を望みます。
マンション・高層住宅が林立する以前、神戸タワーは、本当に遠方からも良く見えました。

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tag : 神戸タワー 湊川 新開地

神戸タワー①

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画像は、1924年(大正13年)3月に開業した「神戸(新開地)タワー」です。
高さ90m(海抜100m)を誇り、高さ75mの初代通天閣を抜いて、当時日本一の高さであったタワー(7階建て)の麓部分には、タイル張りの5階建てオフィスビルのような建物があり、「松井食堂」なるレストラン、昭和3年には、4階・5階に動物園が出来、ジャッカル・マングース・カワウソ・ハイエナ・大トカゲ・ワニ・ペリカン・フクロウ等の、小動物(?)が飼育されていました。
入場料は、大人10銭・子供5銭で、遮る建物が無かった当時、晴れた日には紀州あたりまで見えたそうな。

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設計者の設楽貞雄は、元治元年(1864)生まれで、苦学して東京の造家学科を明治21年(1888)に26歳で卒業後、初代兵庫県庁を設計した山口半六の建築事務所や、山陽鉄道(後の国鉄山陽本線)で働いた後、明治40年(1907)に神戸設計事務所を設立しました。
設楽が取り組んだのは、地味な工場・オフィス・劇場・個人住宅(神戸市須磨区)が殆どで、設計物は、大阪・神戸に集中していました。その中で有名なのが、初代通天閣・神戸タワー・初代楽館(神戸・新開地)・近松座(大阪市内)です。

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設楽の設計による最初のタワーとなった、初代通天閣ですが、麓部分はパリの凱旋門、塔部分は同じくエッフェル塔をモチーフにしており、話題性・通俗性を狙ったデザインとなっていました。
ところが神戸タワーでは一転して直線的デザインとなり、洗練はされましたが、「灯台のように見える」と陰口を叩かれたとか。
兎にも角にも神戸タワーは、デザイン的には大した事が無かったとはいえ、当時日本一の高層建築である事には相違無く、人々の関心を集めたのでした。

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ネオン輝く、在りし日の初代通天閣です。
通天閣には「神戸へ」、神戸タワーには「大阪へ」、夫々阪神電車の広告が目立ちます。
当時、相当力を入れて宣伝を行っていた事が、窺い知れます。

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翻って、華やかだった初代通天閣ですが、吉本興業に買収された後、太平洋戦争中の1943年(昭和18年)1月6日に、直下の映画館・大橋座の火災で、鉄骨部分が加熱されて強度不足となり、鉄材を軍需資材として大阪府に「献納」するという名目で、同年2月13日から塔は解体されたのでした。戦後、赤錆となった残骸が明石市の浜辺で見つかりました・・。

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小学生の時に亡父が天体望遠鏡を買い与えてくれたので、最初は嬉々として月を眺めていましたが、やがて飽きてしまい、2階の部屋窓から神戸市内を「観察」するようになりました。
当時三宮方向を望むと、右にポートタワー(高さ108m・1963年完成)・左に神戸タワー(高さ90m・海抜100m・1924年完成~1968年解体)が見えました。

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やがて両タワーの真ん中に、神戸商工貿易センタービル(高さ107m・1969年完成)が徐々に姿を現し、神戸タワーが解体後は、右にポートタワー・左に神戸商工貿易センタービルが眺められました。
夜間はポートタワー最上部の「PORT OF KOBE」がハッキリ見えて、神戸商工貿易センタービル屋上とポートタワー先端部分に点滅する赤ライトを、飽きもせず眺めていたものでしたが、幼心にも、どす黒い肌色をした、厳めしい形の神戸タワーが無くなった事に、一抹の寂しさを感じました。

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上沢通りを車で東へ向かう際、運転席後の座席に座る事の多かった小職は、湊川のトンネルが近づくと決まって、この異様な建造物を車窓からじっくりと眺めるのでした。
これは湊川トンネル西側の北西方向から撮影されたものですが、この写真の如く、晩年の薄汚れた廃墟になった神戸タワーが目に飛び込んでくると、いつも「夜間、あの中に閉じ込められたら怖いだろうな~。」と感じていました。

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これは南西側から見た画像です。
真っ暗な開口部、金網や有刺鉄線に囲まれた展望台、傷だらけの壁面、等がグロテスクさを助長し、土台のビルが一部吹き抜けとなっていて、天井や窓が無くて空が見えるその様子から、広島原爆ドームの印象と重ね合わせてしまい、より畏怖の念が強まったのを覚えています。

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湊川トンネル東側からの眺めです。
トンネルを通過してからも、振り返って飽きることなくタワーを眺め続けた小職には、懐かしい光景です。
補強工事をして残してはと考えましたが、後年の阪神淡路大震災に耐えたかは疑問です。

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未だこの時点では、嘗ての湊川公園の栄華を彷彿とさせる、うら寂れた遊具が残っており、却って郷愁を誘います。もう2度と、新開地湊川が活気づくことは無いのでしょうか?

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有馬道から眺めたタワーです。高層マンションが無かった当時は遮る物が無くて、本当に遠方からも良く見えました。

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トンネル西出入り口の北側、神戸電鉄の当時の終点「湊川駅」からのショットです。
道路の工事は、神戸高速鉄道乗り入れに伴う、新開地駅への地下路線工事だと思われます。

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竣工間もないタワー。日の丸をはためかせた凛々しい姿ですね。

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ネオンサインは、3回程変わったようです。これは1934年から1940年頃までの、中間期となる「阪神電車」です。

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昭和初期に取り付けられた最初のネオンサインは、「ハープ洗濯石鹸・ベルベット石鹸」でした。

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1940年頃~1950年頃に存在したのが「ビオフェルミン」で、これが最後の広告となりました。

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栄華を誇った神戸タワーも、繁華街の中心が新開地から三宮へ移った戦後は、街と共に寂れてしまい、老朽化とも相まって、昭和43年(1968)に解体されました。特に保存運動などは起こらなかったと聞きます・・。
これは解体される直前の、貴重な画像です。

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建築中と思しき画像を入手しました。
造られ、壊される・・。建造物の宿命を目の当たりにし、胸中、複雑な思いが巡ります。

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tag : 神戸タワー 新開地 湊川

プロフィール

ecocitro

Author:ecocitro
妻・娘・息子との四人暮らしです。
【シトロエン】
《1975 GS1220 club》
亡父が1975年に新車で購入し、ブログ著者に名義変更して現有。
《1973 DS23IE pallas》
1992~2016 24年間所有。
《1972 SM2.7》
2002~2007 5年間所有。
【楽器演奏活動】
《集団演奏》
JAZZ PIANOの集団演奏活動を、目論んでいます。
《鍵盤/打楽器》
幼少時にクラシック・ピアノを習得。
学生時代の4年間は、ジャズ・ドラムの個人レッスンを受講。
社会人になってから、ジャズ・ピアノ教室で、3人の講師に師事。
【作詞/作曲/編曲】
自作曲をCuebaseで完成させる傍ら、それをネットで公開して、評価を仰ぐ事に注力します。
【ミニカー蒐集】
シトロエンGS/AとシトロエンSMモデル以外を、2017年1月に売却。
【運動】
サッカー・水泳・野球等、色々経験した結果、最も肌に合って楽しいスポーツは、バスケットボールでした。
【鉄道趣味】
山陽・阪急・阪神・神戸電鉄・神戸市電・姫路モノレール・地方ローカル鉄道・軽便鉄道が好きです。
【ミリタリー】
戦史・戦記・飛行機・船舶・兵器・空戦・海戦・軍人について、特に造詣を深めています。
【アイドル】
偶然、「初の選抜総選挙1位戴冠」をテレビ視聴していた事から、指原莉乃さんの在宅・ライトファンとなりました。

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